「機能性低血糖症」に気づいた日⑦

剣道部はそれなり新しい刺激がありましたが、肝心のイップスは治る気配がありませんでした。

 

この頃、書店のスポーツコーナーなどに頻繁に立ち寄り、治療やリハビリに関する本があると、片っ端立ち読みをするようになっていました(全部を購入する余裕は当時なく)。しかし、当時野球肩を専門に扱った書籍はほとんど見当たらず、特にイップスに関してはまだ一般に知られてもいない状態でした。それでも少ない情報を頼りに、ストレッチや肩周りの強化にトライしていました。

 

時々壁あてのできるところを見つけて、グローブとボールを持ち出してみますが、全く投げられないため、すぐやめてしまう。神宮や新宿のバッティングセンターに行き、打撃の感触を思い出しますが、落ちているボールが投げられないことの方が悔しい。我流のトレーニングを続けてもなかなか肩がよくなる兆候はありません。2年たったころには半ば諦め始め、このままでは治らないと思うと、部活を続ける意味もわからなくなってきました。それでも同僚の父が経営する中小企業で一緒にアルバイトをしていた友人がよく気にかけてくれたおかげで、結局4年間剣道を続けることができました。

 

一方、この頃に自分に少しだけ変化がありました。高校以来、学園祭やいろんなイベント、大学では飲み会などに参加していても心から楽しめず、いつも何かふわふわした頼りなさや疎外感をずっと感じていたのです。しかし大学3年のオフに友人に誘われてあるスキー合宿に参加した際、楽しめていることに気づきました。この頃を境にして、少しずつですが地に足がついていて自分がそこにいる感覚を思い出すことができるようになっていきました。

 

実は、自分のモヤモヤした状態の原因が機能性低血糖症だったことがわかったのは、大学卒業後30年ほど過ぎた時です。「千代田国際クリニック」(神田)を訪問し、検査を受けた結果、現在は症状がないとのことでしたが、血液をとってもらい、赤血球の動きを顕微鏡で見せてもらったことがあります。機能性低血糖症の患者さんの赤血球は、つながり合って動きが鈍く、ドロドロとした感じになります。しかし私の場合は、一つ一つが連なっておらず、よく運動している様子でしたが、よく見ると微妙に重なっているのです。当時永田先生(故人)からは、「今はなんでもないようだが、機能性低血糖症だった時の名残が、赤血球に少し見えてるね」と言われました。

 

いずれにしても、22歳を過ぎたころ、私は少し自分自身を取り戻したような、なんとなくそんな不思議な感覚になりました。