3月、入学手続きや住む場所を決めるため上京しました。宿は、仕送りをできるだけ自由に使いたかったのと、寝れればいいと考え、教養課程の大学校舎まで徒歩10分、3畳一間、風呂なし、トイレ共同、月1万円という、当時としても破格のボロアパートにしました。そこには地方から出てきて同じ大学に入学したものばかりで、それなりに面白いかもと考えていました。
4月になっても、体調は相変わらずフワフワした捉えどころのない感覚が続いており、新一年生として華やかな入学式にも出席しましたが、やはり何か心から楽しめていない自分を感じていました。
この大学に入りたかった理由は野球に再挑戦することだったのですが、当時自分のイップスはまだ治っていませんでした。このため、入部を躊躇する一方、春の六大学野球が始まると毎日神宮球場へ試合を見に行っていました。野球部には、同じ高校の2つ上の先輩が1名、1つ上が1名いました。また、同学年で自分と同じく一浪したエースが入部していました。5月になり彼らの名前が神宮でコールされる様子を見ると、もういてもたってもいられなくなりました。「とりあえず入部し、イップスはそれから直そう。」そう決意し、私は野球部の合宿所を直接訪れ、入部させてほしいとお願いしました。しかし、対応したマネジャーの返答は、「既に今年の入部希望は締め切っており、許可できない」でした。
なかなか決断が付かなかった分、一度火がついた気持ちは簡単には消えません。考えたのは、「他のオーバーハンドスポーツで肩を直し、また体を鍛えながら、同時にイップスを克服し、その状態になった1年後もう一度野球部の門を叩く」「本気でトライする以上、中途半端な同好会ではなく、あくまで体育会でやる」でした。ここから、これまで未経験の、腕が肩より高く上がり、投球フォームの改善につながりそうな体育会めぐりが始まりました。思いつくままに、テニスやバドミントン、バレー、水泳、などを見て回りました。そしてたまたま体育の授業で剣道を教えていた先生とお話しした際、「ならば剣道をやってみたらどうだ」と言われました。見学に行くと、マネージャーからは「今度入部するのはお前か」という話になっており、なんとなくそのまま入部を決めていました。
この時の私は、「1年で肩を治し、野球に再挑戦する、この部はそのための繋ぎでしかない」と考えていましたが、これは誰にも話すことがない自分だけの決意でした。