「機能性低血糖症」に気づいた日④

野球部の活動が終了し、大学受験にギアチェンジする時期となりました。部活が終わった喪失感や開放感は多少あったものの、相変わらずモヤモヤとした感覚は変わらず、はっきりしない状態でした。それでも、激しい練習から解放され、秋からは少し授業を聞くことができるようになっていました。

 

高校1年のクラス希望を提出する際に、私は理系を選択しましたが、さまざまな理由から受験では文系を目指すことにしました。クラスには医学部を目指す同級生も多く、休み時間に物理や数学の参考書を開いているものがいるなか、私だけ世界史の教科書を見ていました。また、1年の初夏、春の六大学野球が終了した後に、慶應大学の選手がオフの期間を利用して高校に教えに来てくれる機会があり、その時に見たグレーのユニフォームが輝いて見えたことがあります。これを着て野球がしたいと思うようになり、慶應大学を目指そうと決めました。もちろん3年生のこの頃の成績では、六大学どころかどこにも入れそうにもないひどいものでしたが、ともかく目指すところだけは決めました。しかし、教科書や参考書を開くと、集中できずにすぐ眠くなり、ほとんど頭に残りません。そのまま受験を迎え、とりあえず受けてみた共通一次試験は360点、私立を3校受けましたが、全て落ちました。

 

春になり、地元の予備校に通うことにしました。ここには、同じ野球部の同級生も何名かおり、仲間がいるだけで少し安心でした。しかし、予備校の授業は高校の時と変わらず、ただ聞き流すだけでほとんど頭に残りません。テキストも開くと眠くなり、成績もあまり向上したようには感じられませんでした。

夏休みになり、さすがに少し焦り始めました。また、高校では本来自分が持っているだろう力を全く出すことができなかった、その悔しさがどんどん膨らんできて、なんとかリベンジしたい思いが強くなりました。しかし、相変わらず机に向かうと眠くなることが続いており、今のままでは何も変わりません。

 

そこで、「勉強中に眠くなったら、開いた参考書に突っ伏してともかく寝る。そして目が覚めて頭がスッキリしたらそのまま勉強を続けよう。朝も夜も関係なく、自分が一番集中できる時間に勉強しよう」と決めました。高校時代、先生に気づかれないように突っ伏して寝るのは、3年間ずっとやってきてますから、全く問題ありません。この頃から、ベッドから起きたら、そのまま自転車で県立図書館に向かい自習室で勉強し、夕方帰宅して食事の時間以外は机に向かう、もちろん眠い時は図書館でも自宅でもどこでもまず寝る、予備校では授業には出ず模試だけ受ける、ようになりました。一番集中できるのが主に夕方以降だったため、自然と夜型になっていき、ベッドに入るのは3時すぎ、起きるのは11時くらいという生活になっていきました。

 

少し手応えを感じ始めたのは、冬が近づいた12月頃だったかと思います。その時の模試で、六大学の一角は合格ラインに入るようになっていました。しかし、第一志望は相変わらず「E判定」のままです。自分としてはなんとしても行きたいと強く思うようになっており、そこからもう一段ギアを上げて、自分なりの集中力を維持する方法を続けていきました。

そして迎えた受験では、腕試しのつもりで受けた共通テストは760点(内英語と国語で半分)、2月の私立受験では、なんとか第一志望に入ることができました。

 

その頃の自分は、見てくれはほとんど気にせず、髪はボサボサで痩せこけていて、後から写真を見たらまさに苦学生という体でありました。また相変わらずモヤモヤがなくなったわけではありませんでした。